【1999年9月号】

本年度の「ロータリーの友」は8月号から、世界遺産登録の場所の写真を、表紙にする事としたようですナ。
9月の表紙の「屋久島」は、1993年ブナ林で有名な白神山地と共に、日本第1号の世界自然遺産に指定。「屋久杉の 樹齢七千 涼しけれ」川上恵子と言う作家や、いつ作られた句であるのかの知識もねェけどサ、縄文杉を詠んだものでも、それが樹齢2170年であること32ページの説明の通りで、樹齢七千との差異は何だてェと、次の如くですナ。
もともと「大岩杉」と呼ばれていたものを、昭和41年に岩川貞次と言うお人が再発見し、その後 九大の真鍋教授が樹齢7200と推定出来ると発表し、以後「縄文杉」と呼ばれる様になり、屋久島の象教の様な存在になったてェんで、句はそれに基いたんでしょうョ。
32ページの説明の面積約500平方kmは、屋久島全体の503平方kmのことで、そのうち世界自然遺産はてェと10,747ヘクタールの面積だけを言いますナ。
林扶美子の「浮雲」に「屋久島は1ケ月35日 雨が降る」てェ一節があッて、世界的にも多雨の島で平地で年平均3500~5000mm、山岳地帯では8000~10,000mmの降雨量と言われている事にに加え、九州の最高峰 宮の浦岳(1935M)と、永田岳・栗生岳の三岳のほか九州の高山の殆どは屋久島に在る事などから、屋久杉の存在もあるッてェ事。
材木屋 一度は屋久島も行かにゃァてんで、20年はど前に行った事があってサ。安房を千葉ではアワ。屋久島ではアンボウと言い、安房の宿を明け方暗いうちに出発しても、縄文杉への日帰りは余程の健脚でないと無理でサ、昭和の一桁以上のオジンは止めた方が無難てェ具合だネ。私しゃァ若かったけど狡いこともあってサ、屋久杉ランドや海岸の露天岩風呂などを廻り、早くから一杯飲んで待っていたけども自称健脚連中が帰って来たのは22時を過ぎで、ヘロヘロで辿り着いた姿が痛ましくてサ、笑うに笑えねェってェ場面ありョ。
屋久杉とは樹齢1000年以上の木を指し、1000年以下は小杉、植林木は地杉と言ってサ、同じ屋久島産でも杉の全部を屋久杉ッて言わねェだョ。
屋久杉の固有名で呼ばれる巨木は、縄文のほか大王・翁・大和・紀元・万代・弥生など30を越す。1612年島津家の領地になって以降、米に代わる年貢として盤木(板木)にして納められ、主として屋根材の高級柿(コケラ)板として珍重されてたんだケド、庶民住宅の柿葺き板は天竜の柿板が有名なんだョ。柿(カキ)と柿(コケラ)は本当は全く字が違うけど、パソコンワープロなどでは同じ字が出てしまうんだよネ。日本語はヤヤこしいやネ。全く。
島津圧政下の伐採では地上3~4mほどの伐木跡なども多く、それを「土埋木」と呼んで近年まで大量に搬出し、高級木材として人気が高く、主管する営林署が2ッもあった程でサ、思えば江戸時代に貴重な資源を乱伐したものさネ。昨年エンジョイ会で鹿児島遠征した折、皆んなで屋久杉専門店へ寄り、見事な家具・什器類の作品に接し、昔 屋根材に使ったとは、いかにもモッタネェと話をしたけどサ、買った土産は皆んな安いのばっかり。ハイッ。