【2000年5月号】 

【散 る 桜】 

桜はパッと咲いてパッと散るのが宜しいようですナ。この遠江ではスッカリ葉ッぱだけになりましたが、軽井沢も青森も今が盛りと花便り。桜前線は1日20キロのスピードで北上しますが やっと咲いた もう散ったが桜の桜たる所以でしょうョ.
散り始めの13日、金毘羅歌舞伎の義経千本桜を金丸座へ観に行きながら、岡山から讃岐迄の沿線の 散る桜でも愛でようカってんで、爺ィ ニ人色気もナシで行ってきましたがネ‥。
「散る桜残る桜も散る桜」昨今解釈いろいろに使われていますが、これは幕末の志士「雲井龍雄」このお人 幕府側ですが、26歳を最後に官軍に斬首されるんですョ、その辞世の句でしてネ、26の若さで死んでいく我が身と、残る人の身の運命をこう詠んで 静かに死んでいったんですが、「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 浮世に何が久しかるべき」と散り際に美学を求める 我が民族の心情が「雲井龍雄」とは別に句が一人歩きして人口に膾炙していると見るべきでしょうナ。何でもサ。散り際にこそ 美学がありますナ。
業平・宣長・西行などの桜歌は調べようもありますが、龍雄じゃァ調べ難いのが、解釈いろいろとなった処でしょうョ。雑誌委員会もあと1回、散るのがウレシイ花いちもんめ。
V・オフチンコニフの「一枝の桜」は日本人より、散る桜への哀惜が素晴らしく書かれ、日本人として恥ずかしくもあるが、桜は野生が約百種類が自生、園芸品種が四百種類もあり、潔いソメイヨシノなどもオオシマザクラとエドヒガンの交配で東京豊島区染井の植木屋さんが明治の始め頃売り出した品種でごく新しく、私ら子供の時分は練馬区も全部豊島区だったので染井を久しく調べようもなく過ごしましたが、駒込だッてェ言いますから、言ってみりゃァ東京ど真ん中の生まれですナ。日本一と言われるのが吉野の桜、俗に下千本から中・上・奥千本の数で有名なので 染井と吉野をくっつけたんでしょうが、今じゃァ日本列島の主役ですナ。権現てぇなァ神と仏の合体ですが、吉野の本尊 金剛蔵王権現 何ッてるかネ。
浅間さんの祭神が、木花之佐久夜昆売命で絶世の美女だってぇんですがネ、璽々芸之命のカミさんで、木の花と言えば桜を指しますが、神話や神道なんてェもんはイイ加減で、万葉集に桜より梅が多いように、もともと桜は舶来種でサ、梅ちゃんが怒ってるってェの。私ァ三十年続けている同窓会のコンペの番長でサ、「コンペ木の花」名称と顔が似合わねェ?大きなお寺ッてェの。「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」桜はイイねェ。
超弱小企業のオトッあん、寒い季節が商売のシーズンでサ、二月中旬に下田あたりへ配達の途中、河津町じゃァ河津桜の花盛り、寒いのに健気な感じで、もともとは寒桜と大島桜の自然交配だと言われていますナ。又この時期 富士が綺麗でサ、、生きてて良かったてナもんョ。
「友」28日着信、29日これをRCの事務所に届けるんだけどョ、風の便りで2人委員と聴いていたのが、発表は1人。冠婚葬祭や体調でサ、人によっちャァ第一例会にゃァ 間に合わねェゼ。
ハイッ。