【1999年12月号】
【平等院 平等・公平・イイ加減】
半世紀に渉り納涼遊興の地として、父道長なども頻繁に足を運んだ「宇治殿」を藤原頼通が、1052年に寺に改めたものがこの「平等院」で、翌年 阿弥陀堂即ち「鳳凰堂」を建立、彼が亡くなる1074年まで造寺造仏の事業が続いたと言われている。
平安中期以降の貴族信仰の中心をなした浄土教信仰は、数ある浄土の中でも阿弥陀の浄土すなわち西方極楽浄土の信仰で、天台密教の影響が色濃い様に思うが、これらの造寺造仏は時代を経るに従って、貴族の私的な極楽願上だけの為の営みではあった。
同じような言われ方の「極楽疑わしくば、宇治の御寺を敬え」と「日光見るまで結構と言うな」は内容において差異があり、庶民感覚での乖離は甚だしいものがある。誰しも「死への恐れ・おののき」みたいなものへの思いはあるが、古今東西の権力者にその事例が数多く、権力を以てしても不可能な事を 自分だけは何としても極楽への思いからの、造寺造仏であり不老不死への願望であるのに、「平等院」とはこれ如何。
藤原氏が少なくとも庶民と平等と言う思想でなかった事だけは間違いない。
そも「平等」なる言葉は耳に心地良く、フランスの国旗は赤・白・青で、革命の精神である自由・平等・博愛の象徴として、1830年に国旗に制定されているが、異説では只単にパリ市の色である赤と青の間に、ブルボン家を表す白を挟んだだけ とも言われてもいるので、自由・平等・博愛もクエッションで、とりわけ白の「平等」が最もイイ加滅である。
その時の「人権宣言」は世に名高く、その第1条は「人間は生まれながらにして、自由平等である」と高らかに宣言しているが、今日 平等・公平ほど不確定な言葉はなく、ライフ何とかの狂人の口癖ではないが、「定説」は何?なんでしょう。
小錦と中学生が1ッの饅頭を分けて食べるとして、均等に割るのが平等か平等でないのか、フランス革命の「人権宣言」も高揚したテンションの、混乱期の理想論であるのか、誠に以て難しく、正解とされるものは 1ッだけであるのかどうか?
しかし今 平等院は国宝だらけで、荘厳が人の心を和ませ、「人権宣言」もアメリカの独立宣言と並んで、民主主義の教科書の如くではある。平等とは何?で、公平とは何?を指して「定説(?)」とするのでしょうか。
「皆んなに公平か?」本当にYES!と答えられるのかどうか、いずれにしても、平等とか公平が単に夢物語では誠に以て哀しいが、果して人類が「平等」「公平」を実践し得るのか?この世紀末の世界や日本での出来事から、懐疑的にならざるを得ない。
今、世界の紛争は「宗教」「地域」「人権」を根源とするものが多いが、博愛衆に及ぼす奉仕団体が「皆んなに公平か?」と大上段に何が出来て、何を為すべきなんでしょう。
ナーンチャッテ。「屁理屈ごてるナ!」てぇナ事でやんしょう。真理の一つも説明出来ない程度の者は、理屈や規則を並べ立てるより、「親睦」「友情」「イイ加減」てェものが宜しい様でこざいまして、訳も判らず取り敢えず 先ずは「奉仕」でしょうかネ。ハイッ。