【2001年11月号】

【 「武士道」ということ 】
貝原益軒が言っているように、子供を育てるには、三分の飢え、三分の寒さが必要です。今の時代に三分の飢えが難しいなら、せめて飽食だけはやめさせよう、それを私の年度の青少年
育成の根本に置きたい……
(藤川享胤PG)

幕末の1865年に日本を訪れたシュリーマンが、当時の日本の
官吏たちが折り目正しい徳目を備えていたことに感嘆している。例
えば、入国の際の荷物検査を免除してもらうために、税関吏に一分
を出したところ、彼等はそのような 「 心づけ 」 を断固として拒んだ。
彼はこう書いている。 「 日本男児たるもの、心づけにつられて義務
をないがしろにすることは、己れの尊厳にもとると考えている。
現金を受けとるくらいなら、むしろ 『 切腹 』 を選ぶ 」 と。これらは百
数十年まえの日本人の矜持を示す。近年の官吏・政治家のスキャン
ダルを思い起こすとき暗然とせざるをえない。
武士は庶民の模範である。支配階級たる武士は正義を貫き私欲に
走らず、約束を守ることに命を懸けた。 西郷隆盛は 「 正義のためな
ら国家と共に倒れる覚悟がなければ、外国と正常に交際は出来ぬ。
国家の名誉が損なわれるならば、たとえ国家の存在が危くなろうと
も政府は正義の大道をえらぶべきだ。戦争という言葉に怯えて安易
な平和を買うことに汲々とすれば、 もはや政府の名に価いしない 」
敗戦に懲りた日本は、絶対平和の掛け声をのみ安易に唱えて、国
家存立の基本たる 「 文武両道 」 を顧みることなく半世紀を過ごして
しまった。  いま日本人が、テロ事件いらい 何となく腰がふらついて
いるのは、危険ではなかろうか。
“銀杏散るまっ只中に法科あり”
これは昭和16年(日米開戦の年)に山口青邨が詠んだ句である。
『サムライ』養成機関たる東大法学部よ頑張れ。