【1999年10月号】
【姫路のお城は白いシロ】
「お城」と言う響きは、日本人の琴線に触れるかの様である。「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城で持つ」など お国自慢にも各地の城が登場して賑やかで、国宝4城のうちでも、この姫路城は広く知られていて、その一部が世界遺産である。
我が国伝統建築物評価の中で、城は究極の建築美として その様式や工法で一つの地位を占めているが、姫路城は、白鷺城などと言われファンも多い。鷺の種類には青も灰色もいるが、黒白で争う囲碁を鵜鷺の戦いなどと言い、鷺は白の代名詞でもある。
白があればそれに対して黒もあり、加藤清正の熊本城を「烏城」などと言い、日本3大名城の一つに数えられ、乱に備えた戦略上の機能を重視しての城であるのに対し、白は平時の発想、権威の象徴や建築美に重点を置いての築城ではありましょう。
タテ組32ページの表紙説明では、城としての言わばシンボル「天守」に字数を割いているが、「天守」は殿主・天主などとも言い、諸説あるが、信長の安土城の「天主」以降 一般的になり、織豊系の大名が移封され各地に散り、以後「城」のシンボルとして 欠くことが出来ないものになったと見て良い。
江戸時代から庶民がお国自慢で「城」を語り、「お城の様な」と形容するように畏敬の対象ではあるが、築城時の庶民の苦労は 何れも言語に絶するもので、呵責なき重税・使役は悲惨を極めたものも多い。浜松城で16年も過ごした浜松時代の家康に名君のエビソート無く、自己の野望の前に 民への賦課の厳しかったことが想像される。封建君主の暴君に泣く庶民は 古今東西 類挙に暇がないが、とりわけ1616年転封により 島原に入った松倉重政の築城の際は苛烈を極め、暴虐とも言える百姓虐待が続き、キリシタン弾圧に立ち上がったと言われる天草四郎の乱は、バカ殿重政の圧政に因るものと解釈すべきが正しいと考えている。
家康の娘婿 池田輝改が9年も掛けて築城の白鷺城の白さにも、庶民の悲痛な叫びが聞こえて来そうで哀しい白さではある。国宝・世界遺産の中には、往時は現代の感覚とは達う受け止め方のあった事、容易に想像出来る処ですナ。
黒白と言えば司法では黒が悪、白が善。相撲でも勝ちが白星、負けが黒星ではあるが、戦争では白旗は降伏「白さも白し 富士の白雪」とくれば態度を鮮明する前の事。場面によって白も違い、城もシロも評価いろいろ。今度 機会があったらレオナルド藤田の白(乳白)を詳しく書きましょう。黒も苦労も色々で、加藤清正の熊本城の黒も質実剛健ではあるが地味目。総じて黒 不利の感があるが どっちでもイイの。
それは日本人が好む水墨 墨の色は黒。墨の黒は究極の黒にはならず、一歩手前で明るさを含んでいるもの。それが最上の「玄」と言う黒で、死ではなく動きを残す色とされ、「玄」には「生」と宇宙の根源と言う意味がある。と老子が言っていたそうナョ。
まァ白もいいケド、黒も又良し。早い話いい加減が良い加減。タテ組14ページ私の好きな言葉に、七戸の奥山 剛氏「丁度良いのが丁度良い」そりゃァ そうサ。イイ加減サ。 ハイッ。